あかりまち日誌

管理人まそらかなたの創作絵展示サイト、『あかりまち』の日記コンテンツです

スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

tb: --   cm: --

クリスマスの思い出  

忘れもしません、中学2年生のときです。

クリスマスプレゼントを『サンタさんからもらっている体で喜ぶ』という
嘘がつけなくなってしまった私。

今思えば、一年を通しても誕生日プレゼントさえない家だったので
せめてクリスマスくらい、という親心だったと思うのです。
おそらく、知らんふりで受け取り、素直に喜んであげることが親孝行だったと思うのですが
当時の私は、6人姉妹という家の長女として生きてきたこともあり、
少しすれていた…というか、ませていたのでしょうね!
可愛くないことですが、プレゼントをもらうことよりも辞退することの方が正義だと思っていました。

でも、『夢を信じられる子ども』を演じられない自分も辛くて…
(親にとってはいつまでも『可愛い子ども』であってほしいだろうなという想いはあったので)
かと言って、『信じていない』のに『信じたフリ』でプレゼントをもらい続けているのも辛く…

そんな葛藤の中、ある雑誌の中で、クリスマスの特集記事を見ました。
内容は、『ファーザークリスマス』というもの。

その記事を書いたライターさんは、『ファーザークリスマス』というのは、
プレゼントをくれるサンタというより、もっと精神的な存在と言うか
例えば、親が子どもにプレゼントをあげたい、喜ぶ顔が見たい、と思うのも
その『ファーザークリスマス』の意思によるもの、という解釈をされていました。

サンタさんはこの世にいるかもしれない。
でも、きっとそれはトナカイのひくソリに乗って、赤い服(※ほんとは緑ですよね)を着ていたりするんではない。
もっと目に見えないかたちで存在して、市販品のおもちゃなんかじゃなく、もっと別のかたちの喜びをくれる。
そうとらえていた私にとって、その『ファーザークリスマス』という存在が一番ぴったりの答えだったのでした。
(今もそう思っています。)


というわけで、その年のクリスマス前日の朝、とうとうカミングアウトしたのです。
他の妹たちに知られないよう、みんなが学校へ出払ったあと。
わざと遅刻して母と二人きりになったあとで。

私たちにプレゼントをくれているのは、サンタではなく父母だと思っていること。
でも決してサンタという存在を信じていないわけではなく、その存在はきっとこの世のどこかのもっと何かを必要としている人のところへやってきているのだと思っていること。
もちろん妹たちに、このことを言うつもりはないということ。
最後に、『私は卒業したので、クリスマスプレゼントは要らない。』と、はっきりと言いました。
なぜか涙声で。
おそらく、母を傷付けてしまったかもしれないということ、
そしてこのことを黙っていることができなかった自分が悲しかったのですね。


しかし、母は私の独白を聞いて、こうこたえたのです。

『なんの話?』と。

『そんな、プレゼントだなんてお金もったいないし、お母さんは知らないよ。
 まぁお父さんがやってたら、分かんないけどね!』


いけしゃあしゃあと。
しかもちょっとにやけ顔。
思わず絶句する、私。


…んなわけあるかぁぁ~~っ



こともあろうに、真面目に打ち明けた私の話を聞いて、しらを切ったのです!シンジラレネー!
『子ども扱いされた!!!』というのが私の正直な印象でした。そのショックたるや筆舌に尽くせません!

なんなら夜起きといて現行犯逮捕したろか?!そうしたらいいのか!!?
と、怒りを抑えきれませんでした。
…さすがに小さい妹も居たのでさすがにそれはしませんでしたが…!!!

そんなしらを切り通せるほど私は子どもではなかったのに、そのしらを甘受しろという態度を示した母!
もう、私は何も言えず。……何も言えず!!(二度言う)
あとはくるりと母に背を向けて、学校に行くしかありませんでした。

遅刻で登校しながら涙目で私が思ったことが『大人って…汚い!!』でも、致し方ないですよね…!ね!!!


でも結局、その次の日、クリスマスの朝。
枕元には私あてのプレゼントもあったのです。
私は何も、言わないことにしました。
サンタさんありがとうも、言わない。(それは私にとっては嘘だったので。)
おかあさんおとうさんありがとうも、言わない。(それは母親に否定されたので。)
ただ心の中で、『かみさまごめんなさい』と言う。

あとはもう目を閉じて口を閉ざし、大人の『嘘』を甘受する。
結局、毎年毎年そんなクリスマスプレゼントが、20歳になるまで続きました。
愛なのは分かっていましたが、成長して行く子どもに『子どもでいろ』というのは酷だったと思っています。
或いは、大人の愛を、大人の心で受け止めろ、ということだったのかもしれませんが…
いや、もうほんと…苦行だよね!

その当時の私は、嘘をつかなくちゃいけないくらいなら、プレゼントなんて要らなかったのでした。
可愛くない子どもこの上ないですな…。

そんな複雑な思い出があるため、のちのちつじつまも説明もつかなくなるのはいやだなという想いと、
私はほんとうに、『嘘も方便』が笑えるほど苦手で、サンタさんを演じきれる自信が皆無なこともあって、
我が家はサンタさんどうしようと迷っていたのですが…
その反面、クリスマスの夜のあの特別な高揚感を子どもから奪ってしまうことも悲しいなという気持ちもあって。
うーん葛藤です。

世界の全てが未知数で扉を開ければ不思議の世界と繋がっていた頃は、本当の意味で、
聖夜の深淵は幻想世界と繋がっていた。
あの夜には魔法があった。おばけや怪物に匹敵する身震いするような世界の怖さがあった。
鈴の音が聞こえた。人影を見た。あれは全部、本物だった。

あれを味わえるのは、本当に短い時期だけなのだから、それは奪えない、よなぁ…


とりあえず…まだ決めきれないので、今年はふわっとやろうと思います。
来年までに、正当化できるだけの理由を考える。
憂鬱にならないクリスマス目指して、私の中でつじつまを合わせられるよう頑張ります。




そんな私は去年、もういい加減解禁だろうと思い
母に『私も子どもできてクリスマスのサンタどうしたらいいんだろうね』と聞いてみました。
すると、『えっ何あんたのうちサンタさん来ないの。うちはサンタさん来るよ。』と言われました。


この期に及んで!!!!!!???

これまた、ものすごい衝撃でしたが、もうここまで徹底する気ならむしろホンモノだなといやに感心…。
というか実は実は本当にサンタさんが来ているのかもしれない(笑)



母親って、おそろしい!!!




※あっ繰り返しになりますが、決してサンタクロースを信じていない訳ではないし、
 サンタが家に来ていると信じている人を否定する訳では絶対にありません。

 クリスマスの朝、聞こえてくる子どもたちの歓声がサンタクロースの存在を証明していると思っています。

**********************

ワァァ~うれしい拍手コメントありがとうございます!!!
すごいーすごいー再会!笑
近日中に、日記にてお返事させて頂きますねー!わぁすごいなー!
スポンサーサイト

category: つれづれ

tb: 0   cm: --

トラックバック

トラックバックURL
→http://chaikong.blog119.fc2.com/tb.php/343-aab32883
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。