あかりまち日誌

管理人まそらかなたの創作絵展示サイト、『あかりまち』の日記コンテンツです

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エア被災と呼ばれても  

今さらながら、震災当日の話をまとめて書きました。
たかだか半日程度のことなのに、書きたいことがありすぎてまとまらずダラダラ書いたらえらいことになり
ただただ長い駄文になってしまったので、日付を震災当日に振り直して過去にしまい込み
ここに目次で並べることにしました。
(わざわざ見たくない方もいらっしゃるかもですしね…!)

というわけで目次です。

【そのイチ】
地震発生前から直後のお話。
【そのニ】
地震発生後の初動のお話。
【そのサン】
タクシー移動中のお話。
【そのヨン】
停電中の我が家のお話。


あらかじめ断っておきたいのですが、その上記のどれにも、震災で役立つようなことは何一つ書いていません。
あくまで個人的なメモに近いです。

上記のだらだら駄文には書いてませんが、今回の私が学んだことは、3つだけです。

1.我が家の水道は停電で断水するので、停電があらかじめ分かっている時はしっかり対策をする
2.『手巻きラジオ』『携帯用携帯充電機』『ロウソク』の3つは、非常持ち出し袋に必須である。
3.職場から家までの帰宅ルートは一度歩いておく

特に、2。馬鹿に出来ませんね、ラジオ。情報収集は大事です。
でもしばらくは品薄だろうなぁ~まぁあまり殺気立たず、ゆるゆると見つけたらゲットしたいです。
皆さんもぜひぜひ。

* * * * *
すぴっちゅのマサムネさんが、急性ストレス障害で倒れてしまったということですが、
あの日以来、日本全土が被災したと言っても過言ではないくらい、なんらかの影響を受けていると思います。

私も被災直後は、続く余震と繰り返される報道、そして刻々と悪化する原発の状況に戦慄し、
家に居る二人の子どもをなんとか守らねばならないという強迫観念にも近い義務感から、
情報に乗り遅れまいとひたすらテレビとパソコンに張り付くという異常事態に陥りました。

見れば見るほどに積もっていくストレス。
欲しい情報は得られず、本当か嘘かも分からないようなジャンクな情報ばかりが公式リツイートとして
タイムラインに降り積もり、頭がおかしくなるんじゃないかと思いました。

しばらくすると、凄惨な被災地に対し、無力な応援の言葉がふりまかれるようになり
まだ自分たちの状況も危うい中で前向きなツイートを見ることが辛くなりました。
それと同時に、きれいごとの反面、買い占めのような人の愚かさが垣間見えるツイートも増え、
しまいには、人のツイート同士をおとしめあうような発言まで出だして…
…今冷静になって考えてみれば、他の方も少しいつもとは違う状況にあてられてしまっていたのかもしれません。
でも、私にもそれを許容するだけの余裕はありませんでした。

わがままなようですが、私は、フォローしている人たちの言葉が見たかっただけで
公式リツイートのような他の人の言葉を特に見たくなかったのだと気付きました。
私の知っている人たちの言葉は信じられても、人のまた聞きのような言葉はもはや信じられなかったのです。

最終的に、もうツイッターを辞めようと思うところまで行き着きました。
私の知りたいことはそこにはなかったし、いつものあの楽しい空気も失われてしまっていたのです。

ナムの助言もあり、しばらくツイッターから離れました。


その間は、ひたすら制作に打ち込みました。
やるべき原稿があったこと、準備すべき展示が控えていたことは
私にとって本当に幸運だったと思います。
機会を与えてくださったnatsukoさん、イコさん、丹羽さんには感謝してもしきれません。

そのうちに、段々と私の信じる『正義』が見えてきました。
※ここでいう正義は、勧善懲悪的な一元化された正義ではないです。
 飽くまで私の中だけに通じる、私の中で矛盾のない想いのことを便宜上正義と名付けました。

ただ、自信がなくその時は何も言えませんでした。
そんな時に、私を救ったのは、3人の言葉。

まずは、太田光(爆笑問題)さん。
『僕は何にもできないな』って考えることも、それはそれで、その時に出来ることなんじゃないかなって思うんですよね。

次に、ビートたけしさん。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

最後に、これはpixivで見かけたユーザーさんの言葉(阪神大震災を体験した方です)。
ドラマチックで感情的になるのは自然ですが、テレビに映った景色がすべてではありませんし、
被災した人たちには半年後も10年後も元通りの生活はありません。



特に3つ目が効きました。

私はどこか、おごっている部分があったなと。
『早く元通りの生活を。』『そのために募金を、支援を。』だなんて、どだい無理な話なんですよね。
いつでも何に対してもですが、誰かのためにとか、誰かを救おうだなんていうのは
ただの思い上がりだと気付いたのです。
自分はただ、無力だと。それはそれでしかるべきなのだと。

起こってしまったことは変えられない。
被災地にいる方々と変わることも出来ない。
可哀想という言葉も、頑張れという言葉も、それはただの言葉で誰も救わない。

そして、一番大きいのは、結局のところ
被災地に居る方々それぞれが、自分たちで立ち上がるしかないということです。
残酷な言い方ですが、それしかない。

例えば、親を病気で亡くしたとき。
事故で兄弟姉妹を亡くしたとき。

それは不幸な事故ですが、誰かその哀しみを癒せるのでしょうか?
だって親兄弟の代わりなどないのです。
時が戻らない限り、以前の自分を取り戻すなんて到底無理な話なのです。

いくら時が経とうが、いくら哀しみが薄れようが、その笑顔はきっと以前のものとは違うはずです。

でも、それでいいのではないかと思ったのです。
だってそれが記憶だから。大事な人が居て、その人を失ったという自分の歴史だから。
その事実があってこそ、今の自分があるのだから。

あって良かったとは思わない。
でも、ヒロシマを経験しなかった日本だなんて、今は誰が考えられるでしょう?
阪神大震災を経験しなかった日本だなんて、今は誰が想像しうるでしょう?
その他の災害もすべて、その痛みを負って日本は生きていく。

あって良かったとは思わない。
でも、ヒロシマを、すべての災害を経験する前の日本には戻れないですし、戻りたくない。
それと同じです。

私たちにできることは、その痛みを今はただ享受すること。
(※これは、安易な自粛とか不謹慎とかを言っているわけではありません。
  自己満足のために、安易に『一刻も早い復興を』とか『元気を』とか言うのをやめようという話です。)
立ち上がろうとするのは、一人一人の意思だから。



でも、立ち上がろうとしているとき、その人の上にガレキが降り積もっているならば、
それを取り除ける手伝いをするべきであると。
そういう支援は私たちでもできるはずと信じたい。その希望は捨てたくない。

10年後かもしれない、20年後かもしれない未来を信じて、
早く早くとせかさず、子育てと同じように長いスパンで見届けたい。

『復興』ではない、この悲しい歴史をすべてひっくるめた新しい東北を、新しい日本を、と
今は切に願うのです。

そしてその間、立ち上がろうとしている人がどこにいるのか、そのために何が障害となっているのか。
アンテナを張り続けることを忘れないでいたいと思います。


というわけで、自分の中の『正義』を取り戻すことができたので
ようやくツイッターにも少しずつ顔を出すことが出来るようになりました。
でも、依存しすぎず適度な距離感を保ちたいと思います。
これも震災後、私が学んだこと。

元気が出てくれば、また日記にも窓を付けたいと思っています。
それまではもう少し。

私もまた、立ち上がるまでの時間が必要である一人のようです。
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