あかりまち日誌

管理人まそらかなたの創作絵展示サイト、『あかりまち』の日記コンテンツです

スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

tb: --   cm: --

最近思うことなど  

こんにちは!まそらです。結局展示の運営や仕事などで、変わらずわちゃわちゃしています…
なんていうかもう、これはきっとマラソンが好きなんだな…
認めたくないんだけど、そう認めざるを得ないな!!

さて、最近いろいろ自分の身の回りや、ニュースなどで
改めて考えさせられる事件がたくさん起きました。
なのでひさしぶりに、じっくり文章にしてみたいと思います。


電車の人身事故に先月から立て続けに4回遭いました。
衝撃的なニュースの犯人と私に意外なつながりがありました。
そして、若い命が自らの命を絶つという事件がありました。

そのどれもが、辛く、痛ましいものでしたが
社会の事件はどれも決して他人事ではない、ということをより強く感じた今日この頃でした。


少し話はそれてしまいますが、
私が読んだ数少ないライトノベルの中に、『神様のメモ帳』というものがあります。


その中で、ヒロインのアリスという少女が、
『世の中で起きている事件や災厄は全て自分のせいだ』と言う
とても印象的な場面があります。

事件が止められなかったのは自分のせいだ。
この世に起きている戦争も、貧困も、自分の力が及ばなかったせいで起こってしまった。
自分に力があれば、止められることだった、と。

別に、この少女は神でも超能力者でもありません。
言ってしまえば、ただのひきこもりの少女です。

一見、世の中の業ともいうべきものを幼い少女が全て背負っている、という
少々極端な話にも思えるのですが
でも、私はこれを読んだとき、はっとしました。

それは、世の中にはこの意識が決定的に不足している、とずっと感じていたからです。



社会というのは繋がっています。

ある特殊な事件が起きたとき、人は
『こんな怖い事件があるんだ、こんなに得体の知れない人もいるものなんだ』
『自分は事件に遭わないようにこれから気をつけよう』と
まるで他人事のように思いがちです。

でも、果たしてその認識は正しいのかな、と。

ある特殊な場合を除いて…と一応前置きしておくべきかもしれませんが、
他人の尊厳を著しく奪うために生まれてくる人はいない、と私は思っています。

それは、虐待をしようと思って子どもを産む親はいないのと同じことです。

一見、異常とも思える犯罪は、ある特定の人たちの特殊な事件ではなく、
実は私たちが属している社会が生み出したゆがみそのものです。
つまり、あらゆる犯罪の犯人はその被害者であり、
私たちが加害者である、ともいいかえることができます。

特にそのゆがみは、一番『弱い』立場の人間が強く影響を受けます。
社会でいうと、それは子どもです。


『その事件のことを知らなかったし、部外者だから仕方がない』と言うことは容易いですが
本当に何も出来なかったかのでしょうか。

すべての事件には因果があります。
それは例えば、通り魔のような突発的な事件であってもです。

因果があるということは、それは止められなかった事件ではなかったということ。
もしかしたら、たった一言で救われたかもしれなかったのです。



いじめられている子に、会社に行くのがつらくて仕方がない人に
誰かが『逃げてもいい』と言ってあげれば良かった。

虐待を続けてしまう親に
誰かが『皆完璧ではない、貴方は一人じゃない』と寄り添ってあげれば良かった。

あらゆる事件の『加害者(と呼ばれる人)』に
誰かが『貴方は大事な人間だ』と伝えてあげれば良かった。



それらの言葉をかけてあげるのは、本当は身近な誰かであればあるほどいいけれど
極論、それはあなたでも、私でも良かったのだと思うのです。
ということは、やはりその事件を止められなかったのは、あなたのせいであり私のせいなのです。

……突飛な話ですかね~!
確かに話の飛躍は認めますが、でも本質は間違ってないと思うのです。
アリスのキャラクターも、筆者のそういう想いから生まれたんじゃないかな、と信じたい。

ちなみに、『神様のメモ帳』、美しい文章で、生きるということの痛みと衝動が描かれた良作なので、
普段ライトノベルを読まない人にもお勧めです。機会があればぜひ。


……って、何がいいたいかと言うと、『神メモ』の宣伝ではなくですね!


生きている限り、社会と自分とは無関係ということはありません。
何か悲しい、つらいニュースを見た時は、必ず考えて欲しいなと思うのです。
『自分は何が出来ただろうか、どうすればこんな悲しい事件が起きずにすむのか』と。
もしかしたらまさに今も、自分の周りで同じようなゆがみが起きているかもしれないのです。

どうすればいいか?ということは
それは犯人を責めたり、復讐したりすることではなく、
社会のゆがみを生み出さないための、自分自身の行動です。

そうすれば、社会に関心が生まれます。

どこかで罵声が聞こえたら、見て見ぬ振りをするのではなく緊張感を持って状況を窺う。
泣いている子が居たら、顔色が悪い人が居たら、そのまま通り過ぎるのではなく声をかけてみる。

そして関心を持つだけで、社会は、世界は、変えることができると思うのです。自分の力で。


社会と私たちは繋がっている。
だからいつでも加害者となる可能性がある。

でも、繋がっているからこそ、救うことも出来る。


その力を、その意味を、もう一度問い直したいと思う今日この頃です。
スポンサーサイト

category: つれづれ

tb: 0   cm: --

トラックバック

トラックバックURL
→http://chaikong.blog119.fc2.com/tb.php/495-fff5d98f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。